1999年 4月 の記事

本物って?

今に始まったことじゃあないけど、過去への回帰は強まっている。
単刀直入に言うと、「郷愁」と「古典回帰」は一応別に考えたほうがいいかもってことだ。自分に直接関係のある時代を顧みることはやはりノスタルジー要素が強く、いかに60年代あるいは70年代という時代が特別なものであったという「事実」があったにせよ、やはり「今」は強く認識するほうが賢明。つまるところ「保守」と「反動」には明らかな差異があるわけで、かつて小津を酷評した新進気鋭が、小津に近き妙齢になるや、小津も苦笑いするような「反動」をこさえてしまうというような事例は、できれば控えめにしたいものであはあるなあ。
永遠性を約束されたモノに触れることはなかなかどうして甘美なものだが、ややもするとその重厚な事実にとらわれすぎ、何よりも「経緯」というものを忘却してしまう。ライカというのは大した発明ではあるが、それが今日の写真世界すべてに対応するわけもなく、やはり一方でレンズ付きフィルムの「すごさ」を認めておきたいものだ。ライカが何より最上だ、なんて物言いは避けたいもの。現代においてもライカしかなかったらこんなに手軽に写真を楽しめる時代はあり得ないんだしね。
そして、ただ「古い」だけでは、決して本当の「永遠性」を獲得することはできないということも、同時に強く思う。技術としての芸術が機能した時代においてもやっぱりダメなものはダメなわけで、西洋美術館で開催されているベタな展覧会でほとんどがしょうもない(本当に価値のある作品は日本にはなかなかこない)作品を目にしてその意を強くした。過去が常に正しいというのは楽な結論だが、それではその「過去」自体も存在しえないということだ。常に進取の精神で開拓されてきた「テクノロジー」をも全否定しかねない。
ある時期の「テクノロジー」もそれ以前、そして未来があるからこそ生まれてきたということを覚えておこう。愚かな振る舞いをするマジョリティが覆されることはない(ネズミ講を支持するヒトは減ることはない)ようなので、今否定されていることもいつの日か賞賛の対象になりうるだろうけど。すべての進化がある時点でいっせいに止めることができるなら苦労はないんだけどね。
時代と関係なく価値を持ちえるモノはえてして膨大な「コスト」がかかっている。これが本物と遭遇するカギだ。安普請にはそれなりの必然性や価値があるが、やはり「安くてよい」シロモノはそれほどないぞ。であるからしてたとえば、コンピュータ時代以前の工学レンズの計算みたいな、途方もない時間を費やした「手作業」であるとか、おそろしく贅沢な人材(智)を投入した何らかの「作品」みたいなモノは現代においてはなかなか実現しない。この伝で確かに「失われた技術」にほかならず、それは評価の対象だ。そういったモノと単にムカシであることは区別してみよう。問題はコストがかかっているから本物とは限らないということだが、その辺は審美眼を個人的に鍛えるしかない。
印刷を「版画」と称するのは間違いではないが、やっぱりずるいぞ。そういうまやかしに足下をすくわれないためにも鑑賞者(利用者)側でもコストをあまりけちらないことだ。タダより高いものはないのだから。
あんまりまとまりがないけどこの辺で。
[追記]
よく掛け軸なんかが「なんとか鑑定団」で登場して「これは印刷ですねえ」てな具合になるその未来形がそこここにある。ありていに言えば、イルカの絵とかも扱っている某団体が、目玉マークのテレビ局の掩護射撃で勢力を拡大していることに対する懸念を表明したい。そこで扱われている作家の印刷が版画と称されているんで、それはあまり明るいトコロで大きな声(しかも高価格)ではいえないはずでは? 素材明記に「ミクストメディア」とあるのもお約束(このこと自体は「ウソ」ではない。印刷だってハンコで刷っているのだから)とはいえね。「だまされるのが悪い」という言い方はやっぱり程度問題だ。文脈の借用はある程度許されることではあっても、やっぱり自前で批評を形作る必要があるんじゃないのかってことです。

Freeといったら「無料」。決して「自由」ではない

Windows98のバグフィックス版が89ドル(日本語版はどうなるか)だかで有償配布になる(なるのでは)、という報道を目にした方も多いと思う。
実質的にアップグレードと変わらないこの価格に、相当の抵抗感が発生することは間違いがないところだ。市場シェアを拡大するためにソフトウェアの無料配布を行ない、独占すると同時に課税額を引き上げるという手法はMicrosoftの十八番だが、無頓着なユーザーが多いということ以上の意味は実際ない。
こういう状態に陥ることを懸念する向きはMicrosoftと距離を置いていただろうし、それが予測できないヒトはMicrosoftの提供するコンピュータ世界をさほど抵抗なく受け入れてきたのだろうし。今ごろになって「ハナシが違う」と言っても……ユーザーの期待するような「賢明な処置」をそもそもMicrosoftに期待するのが間違いだと言うことだ。
さらに言うなら、そのことを理解した上でMicrosoft世界の住人になっているヒトを「センスがない」だとか「間違っている」と揶揄することは、これもまた愚かなこと。余計なお世話だ。ときおり過剰な熱烈さをもってこういったことを喧伝するMacユーザーを見受けるが、Appleにしてもそう大差ないことを理解していないと言わざるをえない。
シェアのバランスが著しく片寄った現在をおかしく思うことと、個々のプラットホームの優劣を云々することは区別すべきで、単なる判官びいきに陥るだけだ。Microsoftが広大なMS-DOSシェアを維持するために行なった政策は、ワタシはある意味評価の対象と考える。
少なくともMS-DOSベースでMacintoshのようなユーザーインターフェースを実現することが、まずは無謀な試みなわけだが、その技術は非常に高度な次元が要求され、Microsoftはその点で役不足なだけで、例えばAppleならばもう少しうまくやるだろうが、やはりそれよりもハードウェアから一貫設計するという妥当な選択をしたにすぎない。
Microsoftにしてもまったく一からGUIのOSを設計していれば、現在のWindowsよりもいくぶんか有効なオペレーションシステムを提供できていただろうにと考えているわけだ。WindowsNTはWindows95/98とは別物だが、互換性という呪縛を抱えている領域がある以上、AppleIIと決別したMacとはやはりモノが違う。
ここではOSの優劣をこれ以上私見を述べることはやめておこう。いずれのプラットホームにしても永遠ということはないのだし、いずれはもう少しまともなインテリジェンスを備えた何かがどこかで誕生するだろうから。
さて、コンピュータにとって不可欠なのはもちろんオペレーションシステムソフトウェアだが、附随するアプリケーション、ワタシならAdobe Photoshop、QuarkXPressなどがかくべからざる存在だ。インターネット時代では、これにメールソフト、WWWブラウザなどが加わった。
究極には、すべてのソフトウェアは無償であるべき、とするUNIX文化の主張も大いにわかる。しかしそれはコンピュータ世界の住人として充分な資格を備えた者だけが唱えることができるお題目にすぎない。少なくとも現時点では。
上記の「主要」アプリケーションに関して「低価格」化は強く望むが、ワタシは決して無料化を期待することはない。むろん共通規格が必要な、例えばStuffItのような圧縮/解凍アプリケーションが無料配付される必要はある。しかしそれにしてもあくまで無料/有料の二本立てであって、InernetExplorerのごとき振る舞いと一緒くたにすることもない。
リスクを低減したいのであれば、少なくともメインのアプリケーションくらいには相応の対価を支払うことをいとわない。これが明解だ。少なくともベンダーの振る舞いに対していくばくかの注文をつけたいのであれば。
無償とはいうが、実際どこかで代償を払っているものだ。一個人で作りえるレベルのアプリケーションならばともかく、とてつもない開発費がかかっていると吹聴するようなWWWブラウザが、ほんとにタダだと思ったらどうかしている。無料(あるいは別の理由による)ゆえに膨れ上がったユーザーによるサポートの要求は想像以上に過酷だ。それゆえ別途代償を設定するというベンダーの方便が生まれるということも覚えておこう。
いやならば使わなければいい、というような一方的な切り口上に対して、有効な対抗手段を持ちえないアプリケーションユーザーは普段から自衛の手立てを考えるクセをつけておいたほうがいい。圧倒的なシェアが確立された後では、ユーザーはあまりに無力なのだから。
ホント、ブラウザやらメールぐらい買ったほうがいいと思うよ。バグフィックスぐらいは無償にしてほしいけどさ。

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