アナログとデジタル
- 1999年 6月 15日
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カメラの世界でもデジタル技術の比重は高まるばかりだ。ニコンの一眼レフデジタルが65万円というのは、普通のアマチュアユーザーの感覚では、やはり「高い」と言わざるをえない価格帯だが、もうすでに「ライカの一眼レフと差がない」しかも「レンズはライカほど高くもないニッコールレンズ」。今まで以上にプロの間で普及するだろう。
もちろん銀塩と同様の「クオリティ」を全域で発揮するには今少し時間がかかるだろうが、グラフィックの世界同様、一回性を薄め、複製への利便性を高めることになるデジタル技術は、仕事でカメラを利用するヒトたちにとって、無視できないものになっていくことは間違いない。
「手描きの味」といった抽象的な領域はともかく、そのほかの部分で利点を見いだしたからこそ、現状のコンピュータによるグラフィック導入に抵抗のあった作家も導入に踏み切っているわけで、相当数のプロにとっては、道具に情緒を求めることはなく、求める結果を生み出してくれれば、それがデジタルであっても関係はないはずだ。
「手作り」が尊ばれることは間違いないが、究極に言えばデジタルであっても「手作り」には違いない。機械が及ばない高度の職人的技術というのが、デジタルの世界にはないと断言することはできない。気の遠くなるようなストロークはデジタルであっても実行は可能なのだ。するかどうかは別にして。
「デジタルでの手作り感」をいかに押し出していくか、追求していくか。最終的にはそのあたりが云々されることになるのではないか。
「一回性」に関しては、すでに印刷技術がそれを無効にしているともいえるし、写真に関して言えば、フィルムの大量消費、インスタントフィルムの使用が、一回性をそもそも忌避している時代にとっくに突入していることを物語っている。「決定的瞬間」などどこにもない、あるいは「決定的瞬間」はデジタルにおいても存在する。
我が身に振り返ってみれば、取材の撮影はデジタルの方が256倍マシに決まっている。インタビューのテープ録音は音声認識になればいい、そういう筋の問題だ。アナログに依って立つ作家性は間違いではないが、それがすべてではない。