1999年 7月 の記事

取材撮影

完全に仕事モードに突入し、余剰の着想をネットワーク上でほとんど公開できない状態。で、今回の色彩王国3では取材での撮影が大幅に増えたこともあって、ときおり脳裏をかすめるのは撮影機材の拡充をどう計るか(笑)。
以前確保していた機材はすっかり手放していた上、現在の財政ではいっきに必要な機材を揃えるのは難しい。で、取材に行くたびに不足不満点を少しずつ解消するというていたらく。
だからあがったポジは取材後半のものほどイイモノになっている(とほほ)。現在満足度70パーセント。とりあえず直前の取材(小島文美先生)での手元撮影を振り返ってみる。ま、以下のような状況で撮影するわけです。
ライティングは作家が右利きの場合、机の左斜め前にスペースがあればスタンドを立て、アンブレラなりライトバンクなりでやわらげた光を回すのが理想(これで筆先から手首側に陰が落ちる)だが、今回の場合、部屋の左隅に机がくっついているのでそれができない状況。で、しかたなく作家の背後に立てたスタンド+グリップストロボ(GN56)を前方に向かって天井バウンス(1/2発光)。
で、それだけだと光量的にちょっと厳しかったので、作家の左背後に立った状態で、撮影者の左側にスタンドをもうひとつスタンドを立てるスペースはないので、撮影カメラのホットシューに直接続したクリップオンストロボ(35ミリ時GN36)を、机左側の壁にバウンス(1/4発光・ズームヘッドは50ミリに設定)の2灯発光と相成った。それでもシャッターは1/60秒、絞りf5.6ってところ。レンズは90ミリ。
ちなみに天井バウンスのストロボはAC電源。クリップオンは単三アルカリ4本(積層パックを忘れた)。したがってチャージの時間を短縮するためそれぞれ光量を少しずつ落としている。左からのバウンス光は強すぎるとカゲが強くなる(カゲが2重になる)ので、あくまでも天井バウンスのカゲを弱めるためだけに使用してみた。
問題になったのは、撮影カメラのホットシューに接続したクリップオンストロボを左側の壁にバウンスさせたとき、そのカメラ位置の移動によってバウンス角度のずれによって被写体にうまく光が回らないということ。
実際上がりを見てみるとクローズアップのため身を乗り出して近づいたカットが露出不足に。この場合、左壁バウンスの光があさっての方向にいってしまったということになる。つーことは1/4発光でもけっこう影響あるな、ということになる。
もう一度同じ条件下で撮影しなければならないので、今度は机の左隅に小さいスタンドを立ててみようと考えた。具体的にはライツのミニ三脚にストロボ、発光部にルミクエストのディフューザー(ソフトボックス)を装着するつもり。ちょっとまぶしいかな。
ついでにストロボ同調器も用意してうっとうしいシンクロケーブルなしで撮影しようと考えたりして。ただ、買った同調器が光の検知部がストロボ装着状態で発光部と逆を向く、つまり壁側になってしまうので、机の左前に配置するストロボの背後にレフ板なり白い反射面が必要になる。なんか面倒かもしれん。
撮影は大変です。

「作品」と「商品」

取材予定だった作家がひとりキャンセル。けっこう重要な作家だけに残念なことです。でも描き下ろしではないので強制力はありませんからね。仕方のないところです。なんか思うんですが、手描きの作家を中心にして構成することにほんと限界を感じます。すでに色彩王国3もCG濃度がかなり濃くなってきてましてね。
姫はしきりにCG版の色彩王国はどうですかなんて言ってきますが、CGが悪いというのではなく、手描きに比べると、本という形態にした場合に「味気ない」モノになりやすいと判断せざるをえないんです。
手順を厳密に紹介することはむしろ手描きの場合よりもやりやすいのですが、内容を突き詰めるほど、メニュー操作、ダイアログ操作をひたすらに羅列するというマニュアル的な見え方で展開することになり、それはそれで意味のあるモノにもなりますが、やはり「美しく」はないですよね。そして「筆先」が画面に登場することがないということが臨場感の演出面で不利に働くこともマイナス要因です。
電子画材のバリエーションが制作方法、作風を規定しているという現状では、仕方のないことかもしれませんが、「パターン」から大きく逸脱した制作上の個性というものが見えにくい。確かに描かれているモノはまったく別のモノですが、作家ごとの作風の差が手描きの場合よりも平準化して見える分わかりにくい。
きれいなグラデーションひとつ起こすことでもある程度の力量を必要としていた手描きと、多少なりともコンピュータが手助けしてくれるCGでは同じ基準は成立しないということでしょうか。表面上の見栄えが平均化する分、作家の個性を出すのは容易ではありません。もちろん手描きの段階で強い作風を持っているヒトはコンピュータ上でも相応の強度を保ちえているようですが。
いささか妙な表現ですが、彩色を含めたドローイングそのものよりも、ソフトウェアの機能を使った操作面で長けるのであれば、これからはよほどの念を入れたモノでなければ通用しなくなっていくのではないか。手順というのはそれを公開すれば誰でも簡単にコピーできるものですから。最後に残るのはフォルムと(色彩のタッチを含んだ)描線だということは、CGの時代にも忘れてはならないことのようです。それはやはり大量に描く以外に上達の道はないのでしょう。写真も同じですよ(ついでながら)。
だから、手順を紹介することに腐心せざるをえないCGのテクニック本っていうのは、なかなかに難しいものです。「業務」的には必要なものなんでしょうけどね。それが「描く気」を起こさせるようなモノになるかというと……。

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