以下、写真を撮ることよりカメラを操作することが好きな場合には当てはまりません。
20日に発表されたBESSA-R、また35ミリレンジファインダーカメラ(距離計連動式カメラ)の新式が登場したわけだけど、昨今のこの流れはどうだろう。
「カメラ年鑑」を横目で見れば、ライカM型をのぞく、そのほとんどが1眼レフというのが数年来の常識、もう少し言うなら、35ミリカメラでの技術的興味関心は1眼レフ、そしてオートフォーカスを中心とした「自動化」にあった。
プロあるいはハイアマチュア向けとして、目的別に特化した製品を出しやすい中判以上のカメラ市場ならばともかく、どちらかといえば、利便性のみを追求することに終始してきた35ミリにおいてのこの変化は? 乱暴に、プチ「印象派」指向とでも言ってみることにしよう。
メカニカルだとか、マニュアルだとか、数年頻繁にカメラ誌上で用いられるタームはすべて同じ根底に支えられている。「撮らされる」のではなく「撮る」ということらしい。「手ワザ」を感じさせる「写真」がいいらしい。しかしよく考えてみよう。いずれにしても、機械が介在していることに違いはなかろう。
「シャッターチャンス」「構図」「明暗」この3要素が、写真を構成している。そして、機械が助けてくれるとしても、その割合は高くはない。
この伝に従うと「何で撮ってもよい」となる。「画質」の差こそあるだろうけどね。だから全自動カメラで撮っても主体は撮影者にある。撮影条件によっては自動ってのがダメなのはわかるけど、かといってマニュアルがすべてではないわけだしね。「偶然性」「一回性」は全自動であっても発生するはず。
写真の「質」を「画質」と言い換えることによって拡充してきたのはテクノロジーの方便にすぎない。「だれでもキレイな写真が撮れる」云々。その流れがほぼ高度を達成し、確かに誰でも写真は「撮れる」ようになった。で、あるなら、次はそのテクノロジーを土台にして、質を求め工夫すればいいんじゃないかというと、実際はそうなっていない。
だって撮るのが難しい時代のカメラに逆行しているんだもの。それで「シャッターチャンス」「構図」「明暗」には相変わらず注視しないんだもの。それじゃあ繰り返しじゃん。
レンジファインダーはスナップには最適っていうけどホントにそうかな?
木村伊兵衛氏が、ライカあるいはレンジファインダーニコンを使っていたからっていうのを根拠にはできないぞ。あの時代の信頼できるメカニズムとしてレンジファインダーを使っていた、最新のメカニズムを信奉するというプロフェッショナルユースに忠実だったってことじゃないかと思う。
ニコンFだってそう。壊れないカメラがほかになかったからじゃないの?
ある種の制限が「作品」制作上で功を奏するってのは、確かにあるとは思うけど。結局マニュアル、メカニカルってのが実は「面倒」だし、実際は撮るのが「難しい」ってことを知らない世代が購買層になっているだけ。音楽と一緒。
今を否定することが過去も否定することだってことは開発者なら自明。だから過去の再生産は苦しい。だったらライカみたいに同じの作ってりゃよかったのにねえ。そのライカにしたって本当に売りたいのはRタイプ(一眼レフ)だろうけど。
どうせなら組立暗箱までいけば「手作り」感は増すと思うがどうだろう。現像もプリントもやってみようゼ。でも、そこまではいかない。みんな「管理された安全な自然」が好きだから。楽はしたい。
ワタシだったらもっと楽なほうがいいなあ。「一回性」なんてクソくらえだ(失礼)。
同様に考えているヒトはみんなデジタルにいってるし、プロフェッショナルユースは間違いなくデジタルに移行している。やっぱり失敗できないからね。
で、「プロが使っているから」をお題目にデジタルにみんな移行するかなあ。ワタシが関心があるのはその辺ですね。写真学校での教え方も気になるなあ。
蛇足→スクリーントーンだってデジタルみたいなもんでしょ。で「削り」が「工夫」にあたるわな。大事なのは「デジタル」における「偶然性の埋め込み」なのだ。単なる過去の援用じゃあ芸がないよ。