再結成だそうだ。需要があるのか無理やり掘り起こすのかようわからないが、可愛い子ちゃんでもなく、本格派でもない、ありのままの自分を反映させたその様は、中島みゆき節でもなく、かといって荒井由美風ですらなかったが、ノッコ的なるモノがプリンセスプリンセス前夜のJ回帰運動に弾みをつけていたことは間違いない。
「ロッキンオンジャパン」創世期に、元レベッカ当時レッドウォリアーズのギタリストが、ノッコとの愛のヒビを苦々しく語ってからのち、ノッコの等身大伝説はより強化していったように思う。逃避行からずいぶんと経過したように思うが、くだんのギタリストとのトゥルーラブを結実させたころには、往時の小泉今日子と同様にカリスマ指数は最大値を示していた。等身大である以上リスナーとの時間軸がずれるにしたがって、尾崎豊が抱えていたジレンマと同じく沈没せざるをえなかったのはやむを得ないが、その魂は脈々と受け継がれている。
結局のところ「フレンズ」のリバイバルによる復活を目論んでいるだけの、シンプルな再就職活動なのかもしれないが、等身大主義の需要は絶えることはない。問題は「アイデア」は、敷衍した後は単なる「テクニック」になってしまうことを、カリスマ、さまよえる民いずれもが冷静にできなくなってしまうことにある。
解散したのは単なるネタ切れ以上の意味があることがほとんどだろうし、それが時間を費やすことによって修復するとはあまり信じられない。いかに昨今闊歩するノッコの子供たちの振る舞いがインチキくさいものであったとしても、かつての本物が出向いていったからといって、それは単なるノスタルジーにすぎず、であれば、当人が「にっぽんの歌」で開陳するのがせいぜいだろう。
カリスマであるほど老いたさまは痛々しいものだ。子供をダシにするほうがましかもしれない。