ブロードバンド前夜
- 2001年 3月 20日
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DSLとか、CATVとか、光ファイバーとか、威勢のいい花火が打ち上げられているが、周囲ではせいぜいフレッツISDNがせいぜいで、ワタシ自身はアナログ56Kbpsと、「取り残されている」ような焦燥感がひしひし。
この焼けつくような感覚があふれていれば、それはその業界のある程度の「高揚」を保証している。換言すれば、誰もが「どうでもいい」モノは大きな飛躍は望めない。必要なモノだけが定量消費されていくだけだ。誰も炊飯器の未来に多大な期待を持たない。
単に「銀行馬券」はどれかと鵜の目鷹の目で、その実「消費」するだけのユーザーが大半を占めるゲーム世界の「荒廃」を考えれば、まだインターネットは救いがあるかもしれない。いまだはっきりしない高速回線さまざまに一様に期待もしているし、「なんだかわからないけどひとつ導入してみるか」といった豪毅さにあふれている(同様にコンテンツの面においても受動一辺倒ではなく、相応の活発さを期待したい)。
……今年、Intel世界では「ノートパソコンでギガヘルツ」がアッという間に当たり前になる(もはやインフレーションだが)。OSを快適に動かすためにはもっと速度が必要かもしれない。Macintoshにおいても、OSXに関して言えば同じことが言えるだろう。
ところで、インターネットでの「体感速度」の目安は、サーバの速度はとりあえず度外視すると、クライアント側での、「WWWの表示」と「(巨大データの)ダウン(アップ)ロード」にあり、表示速度は主にマシンのパフォーマンス、ダウン(アップ)ロード速度は回線速度に依拠する。
具体的には「重いウェブサイトの閲覧」には「速いマシン」が必要で、MB(メガバイト)単位のファイルをダウンロードするなら「速い回線」が求められる。その両要素を切実に希求するのは18禁サイトを愛好する場合などで、日々膨張するバナー広告をザックリ表示、膨大なMPEGキャプチャーをサクッと落とすこと以外に望むことがあり得ようか。
仮に将来性のないISDNであろうとも、インターネットには不相応なギガヘルツ演算速度を持ってすれば、単なるWebの閲覧はモノの数ではない(つまりブラウザが速ければよいのだ)。更には度外視されている旧世代のCPUでさえ、光ファイバー上では、「使いモノ」になってしまう。
しかし、ISDNの1500倍程度の速度が出せる見込みをもった光ファイバーが、当たり前のように利用できる世の中が早晩訪れるかといえば、どうだろう? それまでの間に踊らされるようにさまざまな回線を喜々として導入するほうが気が利いている。ユーザーが「投資」への「関心」を失ったらその世界は「終焉」する。これはいかなる場合も同じ。可能ならCATVやDSLを導入してみよう。ワタシも努力はしてみます(笑)。