カテゴリー : Movie

ミリオンダラー・ベイビー

予備知識なしに観て結末が中途まで予想できなかった久しぶりの作品。万人に勧められる映画ではないがまずまず良くできたシナリオ(あるいは原作)。さすがにこの年になると結末で揺さぶられるモノも少ないが、一度はこういう映画を観ても良い。いや、「スジ」を書き連ねると面白みがまったくなくなるので、できればパンフレットも作品を観た後に購入した方が没入できる。

角川春樹の野望

用心棒や椿十郎など映画リメイク権利を角川春樹氏が取得した。これはイヤな予感。。。椿三十郎だけは勘弁してほしい。まあ見なければよいのだが。たぶん三十年前ならそれでも「役者」が揃っていたので「角川映画」でもカタチになった。しかし昨今の時代劇を見ると心配になるわな。キャスティングだけチェックしておこうか。

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー

ジュード・ロウが(いい意味で)古典的な男前であることはよくわかった。以上。。。というわけにもいかないが、主人公操るカーチス P40(ウォーホークなのかキティホークなのか、まあどちらでも良い)が(ロータス・エスプリの)ボンドカーを想起させるアクションを見せてくれることに心惹かれたことを記しておこう。フライシャーの意訳をさんざん開陳したアイテム群についてはコメントを控えることにする。「超歴史」的世界観というヤツの評価は「好きずき」で語るほかない。言ってみれば、飛ぶしか能のないリアルなカーチスが登場した「パール・ハーバー」が司馬遼太郎の「燃えよ剣」とするなら、本作はつかこうへいの「幕末純情伝」のスタンスで受け止めるのが適切。誰も「龍馬伝」は「正確ではない」と意見しないだろう。(LINK

STAR WARS TRILOGY DVD

気にしてるというよりは気にしてた。ビデオが揃っているため勿体ないと思いつつ、デジタル処理版を劇場で見ていないので購入。以前に入手した「BACK TO THE FUTURE TRILOGY」も結局封を切っていないので、これもしばらくはオブジェとなるだろう。

バトル・オブ・シリコンバレー

昨年のいつだかに少しだけ取り上げたジョブズとビルのシリコンバレー青春白書。一体どの程度の反響があったのかはまったく知る術を持たないが、とりあえず7月14日よりビデオレンタルが開始されるので、見かけたら観てみようと記憶。
かつての両者の風貌を記憶する者にとってはパッケージのビジュアルを見た時点で、何かこう、その映画が語ろうとしている方向性が透けて見えるもので、内容に関してもかなりのアバウトさが懸念されるけれども、現実の彼らが相当に浮き世離れしているのだから、いまさらの虚色もどうということもない。

俳優

検挙一歩手前のインディーズAVがばんばんと置いてある近所の貸しビデオ屋の店長は、バーチャ全盛期には隣接するボーリング場のゲーセンで全国のカゲ使い同様、ちくちくと高校生をいじめていたことは常磐平駅前では有名だが、バーチャがすたれた今、もとより盛んな映画鑑賞に拍車がかかっている。で、近隣の蔦屋よりも渋い品揃え+有線大音量メタルかけ放題なステキな空間で、賞味期限切れの300円ビデオを物色する日々だ。
大半はなお高かろうという物件だが、マシュー・ブロデリック+マーロン・ブランドの「ドン・サバティーニ」を見つけた瞬間には少しだけ高揚もする。「ドン・コルレオーネ」そっくりのマーロン・ブランド扮する「ドン・サバティーニ」を観るだけでも時間を割く価値があるが、やはりマシュー・ブロデリックにつきる。
マイケル・J・フォックス、マコーレ・カルキン、リバー・フェニックス、となぜか贔屓目の役者が暗黒面に沈殿していく中、マシュー・ブロデリックだけはどうやら共和騎士足り得ているのか? おそらくそれも贔屓目なのだろうな。彼らはいくら「新境地何がしを」切り開こうとも、自己模倣にとらわれる運命にある。そこのところがワタシにはこたえられない。ゆがんだメンタリティだ。
ところで「エピソード1」の子役はどうだろう。映画自体よりその姿を見たいがために最近借りる方向で検討中。

指輪物語

日本語タイトルは「指輪物語」。「ファンタジー」の物語原型として広く伝搬しているトールキン(トルーキン?)の長大な小説(3分冊)。その登場は1960年代じゃなかったかと記憶している(あるいは評価されたのが)が、いずれにせよその人気がアメリカで沸騰した結果か、1970年代末(80年代初頭かも)に当小説を下敷きにしたアニメーションが日本でも公開され、わけも分からずに観た記憶がある。
2時間を超える作品だったが、すでに物語そのものよりも製作技術的に関心があるという、なんとも鼻持ちならない中学生だったため、ロートスコープとかいう当時の最新技術(と喧伝していたような気がする)を一目見ようとかけつけたこともあってか、原作の完全再現ではなく、ハナシが尻切れトンボに終わったことにも若干の失望しか感じなかったように思う。映像的には充分に満足のいくものだったから。
ちなみにロートスコープ(表記は正確ではない)は、いってみればライブアクションのようなもので、実際に役者が行った演技をフィルムに撮影し、それをあらためてアニメーションの動画として起こす手法(あるいはそういった方向性の技術)のことだと記憶している。当時収集したチラシにそんな説明があったように思う。
さて、ずいぶんと前にクランクインしたような気がするが、初の実写化となる「指輪物語」(3本に分割)の第1作がいつ公開されるのかは、いずれ公式サイトに発表されるだろうが、その前にかつてのアニメーションをもう一度観てみたいと思うことが、ここのところたびたびあるが、残念ながらビデオの実物を見たことがない。
世間の関心がハリー・ポッターに向いている(もとより向いていないかもしれないが)うちに何とかしないと、もしセルビデオがあるとしても、「指輪?」公開が決定した後は、下手をすると安易に入手できなくなってしまうかもしれない。いまだにアメリカでは「スターウォーズ」よりも人気がある「ファンタシー」なのだから、配給映画会社の広報担当だって、そこのところを利用しない手はないだろうし。
指輪物語に関する情報がワイヤードに増える一方なので少し焦ってきた。
[追記]
指輪物語の映画に関してもう少し。
トリロジー1作目の公開は2001年の12月に予定されている。まだ先のハナシである。ところが製作会社が公開した2分間の予告編は、米国時間4月7日に公開されてから24時間で170万回ダウンロードされたらしい。実はワタシもダウンロードしたのだが、なぜかウチの環境では観れなかった。……いずれ何とかするからそれはいいが、それにしてもこの数字はどうだろう。
先日も少し触れたが、スターウォーズよりも人気が高いというその根拠は、Amazon.comが調査した数字に依ったモノだが、大半の映画供給側がいまだ気づいていないとしても、ワイヤードの存在が映画宣伝にとって絶大な効果を持っていることは、疑いのないところだろう。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、あるいは「踊る大捜査線 The Movie」、そして「スターウォーズ新3部作」にしても、この記においての作品表記があいまいなほどにどれも観ていない。しかし冷静に考えて、上記3作品に象徴されるような、ワイヤード上でのビリーバーによる布教活動は、少なくとも上意下達を旨とした他の宣伝活動よりも、消費者にシンパシーを感じさせることだけは確かだ。今のところ、ワイヤードはぎりぎりのところでアンダーグラウンドが存在しているように、「市民」のものであるようだから(安心はできないが)。
もちろんそれはイリュージョンにすぎず、さらにいえば幻想として成立しているのは、いまだワイヤードがマイノリティとして機能しているからにほかならない。益があるということが自明になれば、別段珍しくもない大資本の参入が本格化するだけだから。
目的の「指輪物語」はどうだろうか?
熱心なフォロワーが少なからずであることは承知しているが、それが膨大な製作費を補えるだけの保証は毛頭ない。であるがゆえの需要の「掘り起こし」であり、それは公開まで間断なく次第に強まっていくことだろう。どちらにしても作品は観てみるまでわからない、もとよりそれがすべてだが。
[追記02]
あれ? こんなにスペースを割くつもりはなかったんだけど、まずいなあ。
そもそも熱狂的な人たちに比べれば、ワタシの思い入れなんてものはないに等しい(それは私自身が指輪よりも「ダーク クリスタル」あたりに夢中になってしまっていたあたりに自明なのだけど)。
「スターウォーズ」にしても「新三部作」を最終的に強力に支援したのは、「スターウォーズ」的空気感が、それこそ「自明」としてあるような、ありていにいえば当たり前のモノとして世の中に認知された世代だった(リアルタイムに1作目を見ていなかったり)ようで、第一世代のヒトは「ひいてしまった」という経緯はどうか。
これがおそらく「指輪」にも適用されるであろうことは予測がつくわけで、いやそれどころか「縮小再生産」が続く限り確執はどこででも起こりうる。別段たいしたことじゃないともいえるけど。
わかりにくくく言えば、第一世代にとって得心たるようなモノが現在提供されることになれば、それはたぶんビジネスとしては破綻することにもなり、その逆であるならばやはり「薄い」ものでしかない。
これは小説→映像化というプロセスの中でも起きていることだし、とにかく何にでもたいてい当てはまったりする。「指輪」が幸運だといえるのは初めての実写化ということで、その点では皆等しく第一世代になる。しかし落胆は小説から入ったヒトのほうが大きい。ここのところが皆さんの恐怖だわな。もちろんワタシの恐怖でもあります。
ちなみに「指輪」同様にして「ダーク クリスタル」のビデオも探してたりして。

映画「秘密の花園」

何気ない会話の狭間で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」やら「わらの犬」やら「オールザットジャズ」劇中の印象的なシークエンスをうすぼんやりと思い出したり。思い出してビデオを観返したり。得な資質というのか、数年も経つと映画のストーリーなんてきれいさっぱり忘れてしまう。だから何度でも楽しめる。
最近は仕事で行った北海道の丘陵情景がたびたび思い浮かぶことが多いのだけれど、冷静に考えれば逃げ出したような苦しさがそのほとんどだったはずなのに、むしろ北の国に渡る前にさまざま巡らせた勝手な想像(だだっぴろい牧草地を馬に乗って駆けめぐるとか)や、「動物王国」を通して喚起されたイメージングに驚くほど固執している自分のでたらめな記憶を思い返して苦笑したり。
桜は毎年数カ所で見ることになるが、今年は世田谷区、千代田区、文京区、台東区で散歩+撮影。頭が悪いせいか、植物と鳥の名前がどうしても一定以上覚えられないが、桜だけは「桜」と即断できるのが安心この上ない(「椿」と「牡丹」すら同一視するていたらくなのだから)。
小学生のころから通っている神保町の古書店をいまさらありがたく徘徊し、必要以上に無視していた洋書の類に容易ならぬ関心を持ってみたり。どこも成績不振かプライスオフはなはだしく、たまらない風情のモーターサイクル本が捨て値でおかれているのを見るに、いてもたってもいられなくなったり。手放した「ソロモンの指環」を再度購入せざるをえなかったのも何かスイッチが入ったからなのだろう。
フランシス・フォード・コッポラ監督作品の「秘密の花園」は、英国の地に散見される美しい自然やら、過剰に優しげに可愛らしく描かれる大小の動物たちを堪能したい向きには必見だ。それはムツゴロウさんを疑いつつも求めてやまない、ワタシのようなインチキなメンタリティを満足させる心地よさだが、英国への期待を込めた誤解をここまで率直に開陳したところが気持ちいい。物語原型あるいは原則を踏襲していることを、何か予定調和的または懐古調を、この場合ネガティヴなニュアンスで捉えるのではなく、素直に気持ちよく受け止めることが、より楽しむコツだろう。「トレイン・スポッティング」だってスジだけみたらベタベタでどうしようもない。だけどやはり面白いとしか言いようがない。コレと同じ。
とりとめもない。

映画「コンタクト」

ロバート・ゼメキス監督作品。原作・原案カール・セーガン。主演ジョディ・フォスター。未知なる「宇宙」との「遭遇」を描いたSF大作……なんとまあストレートなアオリ!
ワタシがゼメキス好きとはいえ、やはり上記のような条件を提示されると躊躇してしまう。実際尻込みして、うかうかしているうちに780円で販売される始末だ。が、しかし、うっかりと観てしまった。
ところが、これはなかなか「魅せる」作品だったりした。ゼメキス作品としては悪くない。
筋を説明するとなぜか平凡でとてもつまらなくなってしまうので、興味が沸いたヒトは各自ご購入ください。ビデオの安売り店でまだ売っていると思います。ワゴン陳列も見かけました。
ただしこの作品を楽しむには、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を端緒にゼメキス作品を何本か観ておく必要があります。ある種の「楽屋落ち」的カタルシスも混入されていますので(もちろんそれだけではありませんが)。ご注意のほど。

キネマの天地

昭和初期の松竹蒲田撮影所を舞台にした山田洋次監督作品ですが、内容的にはおそろしくステレオタイプな山田節の悲喜劇で、なにも考えずに観るが一番といったところではあります。
ただ、その当時の事情をある程度知っているヒトにとっては、それなりに楽しめる(かなり露悪的にですが)佳作なのかもしれません。
おなじく蒲田の撮影所を舞台にした「蒲田行進曲」と比してもなお、あまりにベタなドラマツルギーや、平板な画面構成(美術も努力は認めるが今一つ)はさておき、ワタシが「お」と思ったところを2、3書きとめておきます。
当時の松竹の監督が名前を少し変えて(類推できる程度に)登場するのですが、岸辺一徳扮する小津安二郎監督が意外に似ていた。特に風采はよく似せていたように思える。
で、その小津組の撮影シーンで、ちゃんとローアングルのカメラポジションと、厚田雄春(小津組戦後の撮影担当)的風貌のカメラマンが鍔付き帽子を後ろ向きにかぶっていたというのが、目配りを感じさせます(筑摩書房刊「小津安二郎物語」表紙カバーを参照)。
渥美清や倍賞美津子、前田吟が結局のところ「寅さん世界の住人」として登場してしまっている。これがまた予定調和的ではあるけど(がゆえに)うれしい。
笠智衆が数カット登場するのですが、これがまたいい味出してる。中井貴一を起用しているところもいいですな。お父さん(佐田啓二)ほど美男子ではありませんが、やはり重要です。
と、ディテールにはそれなりの配慮があり、そういうところを楽しみました。楽屋オチと考えても構いません。

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