「作品」と「商品」
- 1999年 7月 1日
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取材予定だった作家がひとりキャンセル。けっこう重要な作家だけに残念なことです。でも描き下ろしではないので強制力はありませんからね。仕方のないところです。なんか思うんですが、手描きの作家を中心にして構成することにほんと限界を感じます。すでに色彩王国3もCG濃度がかなり濃くなってきてましてね。
姫はしきりにCG版の色彩王国はどうですかなんて言ってきますが、CGが悪いというのではなく、手描きに比べると、本という形態にした場合に「味気ない」モノになりやすいと判断せざるをえないんです。
手順を厳密に紹介することはむしろ手描きの場合よりもやりやすいのですが、内容を突き詰めるほど、メニュー操作、ダイアログ操作をひたすらに羅列するというマニュアル的な見え方で展開することになり、それはそれで意味のあるモノにもなりますが、やはり「美しく」はないですよね。そして「筆先」が画面に登場することがないということが臨場感の演出面で不利に働くこともマイナス要因です。
電子画材のバリエーションが制作方法、作風を規定しているという現状では、仕方のないことかもしれませんが、「パターン」から大きく逸脱した制作上の個性というものが見えにくい。確かに描かれているモノはまったく別のモノですが、作家ごとの作風の差が手描きの場合よりも平準化して見える分わかりにくい。
きれいなグラデーションひとつ起こすことでもある程度の力量を必要としていた手描きと、多少なりともコンピュータが手助けしてくれるCGでは同じ基準は成立しないということでしょうか。表面上の見栄えが平均化する分、作家の個性を出すのは容易ではありません。もちろん手描きの段階で強い作風を持っているヒトはコンピュータ上でも相応の強度を保ちえているようですが。
いささか妙な表現ですが、彩色を含めたドローイングそのものよりも、ソフトウェアの機能を使った操作面で長けるのであれば、これからはよほどの念を入れたモノでなければ通用しなくなっていくのではないか。手順というのはそれを公開すれば誰でも簡単にコピーできるものですから。最後に残るのはフォルムと(色彩のタッチを含んだ)描線だということは、CGの時代にも忘れてはならないことのようです。それはやはり大量に描く以外に上達の道はないのでしょう。写真も同じですよ(ついでながら)。
だから、手順を紹介することに腐心せざるをえないCGのテクニック本っていうのは、なかなかに難しいものです。「業務」的には必要なものなんでしょうけどね。それが「描く気」を起こさせるようなモノになるかというと……。