リアル
- 1999年 3月 1日
- カテゴリー : Art / Design
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ファイナル・ファンタジー8。とりあえずエンディングまで「観た」。随所に挿入されるCGムービーがCMでは効果的に喧伝されていたと思うが、「ビーストウォーズ」の延長戦上にあるためかいささか食傷してくる。そう、一度でたくさんだ。
「ジャンクション」はともかく「ドロー」がひたすら消化しなければならないドリルのように退屈だという声は実は確実にあるが、それは方向性ということで収めたい。愚直なまでに「苦労」を重ねることが「幸せ」を最大に感じるという作りをどこまでも堅持していくというコンセプトはいまだに根強い。それはGF召還時のムービーが常識的な線よりも若干長めでありながら、キャンセルはいっさいできない。しかもラストを除いてはGF召還の必要性は非常に高い設定にあるにも関わらず……あたりに顕著ではある。
「映画」を射程に入れたその方向性の是非は個人的に関心の及ぶところではないのだが、実はエンディングに開陳されたひとつの「ムービー」に瞠目した。かなりの収穫だ。
それは、ハンディビデオ(?)のような機器を用いて撮られたキャラクターたちの「風景」なのだが、うすぐらい画面の中に見え隠れするその臨場感たるや「なるほど、こういうことか」と得心。そう、ビーストウォーズがいくら密度を増してもそれは「映画」とは「また別の」映像でしかない。
ひとつは「バグズ・ライフ」に代表されるような、テレビカメラ映像的な光の演出を施し、鈴木その子的空間を表出させる白い世界(コントラストの低減)があるのだが、完全に拒絶するようなモノでもないが驚くにはあたらない。ましてや好きな感触ではない。
エンディングのそれは、絶妙なノイズの融合によるアナログ「感」にほかならず、ある種極めてテクニカルなリアルだが、それはワタシの心を揺さぶったのだ。
リアルなキャラクターの動きなどというものは、キャプチャーの出来不出来というある種金額に換算できるファクターでしかないという暴論も可能だが、「奥行き」というのは文字どおり奥の深いもので技術選択を失敗すると無惨な結果に終わるのは、自明。
もちろん、あれが「初」だということではない。ただ、スクウェアの考えているコンピュータグラフィックスに少し安心しただけだ。膨大な演算の結果を単に誇れる時代はもうすでに終わりをつげている。
エンディングだけを観ることができないのが本当に残念だ。
[追記]
エアブラシ界におけるスーパーリアル、昨今のコンピュータ利用による「リアル」なグラフィックス、いずれの場合も「精密度」を極限まで指向するというわかりやすい努力が実れば実るほど「写真化」し、その「手技」の結果としての存在意義を失っていった。
写実主義(そもそも写実とはなんぞや)に関して言えば(正確にはいくつかの領域での存在を認められているものの)「手でこんなに描けるなんてすごい」という素朴な驚きは、友だちの友だちに伝わるころには輝きを失っていく。
作品にこめられた「曖昧な雑情報」をくみ取ることにかけては世界一熱心な日本人の鑑賞眼に、徹底的な「高精度」は果たしていかほどの効力を持ちえるのか。印象派のスピンオフが支配的なこの国において(それもまた愚鈍だが)。
工業製品における精度の確保にことさらやっきになる国民性が、裏返しに求めるアナログ感をここでは「モノのあわれ」とでも称することにしよう。花鳥風月でもいい(笑う)。
当の写真はどうか。
ともあれカメラあるいはフィルムという画材は、日本的勤勉さによってこれ以上ないほど高精細な情報を生み出すこととなった。その延長線上に昨今の「デジタル写真」が存在するのはいうまでもない。
細かく見れば、レンズの高性能さがもたらす「リアル」がやはり作品強度を失うファクターとして機能し、逆に訴求力が低下していることが目にとまる。
ここでも問題は「空気感」の表現を度外視してきた技術の方向性にある。そしてそれは解像度をあげることや高コントラストやカラーバランスの改善では到底なしえない、パラドキシカルな法則にほかならない。そう、レンズ性能が向上すればするほど空気感は失われていくことになる。別には「精密」であるほど「アウラ」が消失していくとも。
別に「人間の目に近づいた」からアウラが増加するわけではないのだ。結局、自ら考える余地を与えない「情報」は、それは単なる「情報」に成り下がる。むろん見えすぎる映像にノイズを混入するというのが、旧時代から要請だったとしても、いくぶんか考える(感じる)余地はあろうというものだ。だからいかに泥縄的な配慮であるとされたとしても、ワタシはスクウェアの深謀を今のところ支持する。
デジタルが持つ「1回性の消失」とともに、この精密主義がもたらす表現はどこまで進化するのだろう。デジタルでない何か新しい指標が生み出されるまで、それは回転しつづけるのだろうか。いずれにしても表現を希求しないのであれば関係のないハナシではある。